ひといき入れよう

経験と感じたこと

札幌市の廃食油の資源回収にキャスターオイルは対象になるか

キャスターオイルを買って1年と半年。

匂いや色に変化を感じないけど品質に問題があるかも。

例えば、カビが生えていて皮膚や髪につけると体の害になるとか。

300mlのボトルの半分ぐらい残っていて

捨てるのはもったいないけど体や髪につける以外に思いつかない。

ということで捨てることに。

札幌市によれば

「紙や布に染み込ませるか凝固剤で固める」という出し方になるそう。

もしくは

「家庭用廃食油の無料回収に出すと資源に!」とあった。

手間はかかるが資源になってくれると嬉しい。

でも、廃食油。

「食」ではない。

廃食油ということは揚げ物用とかオイルーブオイルの類だろうか。

調べても見つけられなかったので

リサイクルセンターの人に直接聞いてみた。

すると「植物油ならOK」と回答。

ということで

キャスターオイルを札幌市の廃食油の資源回収に出してもOK。

ただ、500mlのペットボトルに入れてくださいとのこと。

なるほど、今は300mlのボトルに入っているけど

500mlのペットボトルに移し替える必要があるということか。

言われなかったら300mlのボトルのまま回収ボックスに入れていたかもしれない。

もし、天ぷらに使った油なら天かすなど不純物が入らないように

濾さなければならないらしい。

面倒くさがってそのまま入れてしまう人もいそう。

でも、そんな手間を惜しむくらいなら紙や布に染み込ませて

燃やせるごみにいれるか。

以前、職場の人に揚げ物で使った冷えてない油を

シンクに流してプラスチックの排水口のゴミ受けを溶かした人がいた。

賃貸アパートだったのでゴミ受けを弁償したらしい。

例え冷えた油でゴミ受けを溶かさなかったとしても

下水の水質に影響を及ぼし環境汚染に繋がるので良く無いと札幌市のHPにもある。

それにしても植物性油じゃないものはなぜダメだのだろう。

植物性油と動物性油は何が違うのか。

違う自治体のWEBサイトには動物性油は

冷えると固化してしまいリサイクルにはむかないとのこと。

因みに具体的な動物性油とはラードやバター。

動植物以外の油も対象外の様ですね。

例えば鉱物油。鉱物油とは石油由来の油ですね。

植物性油でもヤシ油やパーム油は対象外になっている自治体があるようです。

常温では固体になるのが理由かもしれません。

冷えると固化してしまう動物性油の性質に似ていますね。

ということは

札幌市の資源回収でもパーム油やヤシ油は植物性油ではあるけど

対象外かもしれません。

想像してみると固化した油を500mlのペットボトルに入れるのは難しい。

さて、回収された油はどうなるのでしょうか。

バイオディーゼル燃料として使用されているようです。

工事現場の重機や車両、航空機、施設のボイラーの燃料として使われるそうです。

一部は海外に輸出されているとか。

少しでもゴミを減らし、水質を改善し、CO2削減に貢献したいですね。

 

花手水の魅力に触れる in 札幌

 

大谷地神社に行って花手水を見てきました。

 

大谷地神社の花手水

 

駐車場もありました。

ハート形の絵馬がたくさん下っている所の横にあるハート形の切り株が印象的でした。帰ってからネットで調べると縁結びや恋愛成就のご利益があるのを知り合点がいきました。

 

厚別神社にも行ってきました。

 

厚別神社 花手水

厚別神社の風鈴

厚別神社の風鈴

こちらも駐車場あります。

こちらは風鈴がたくさんあるのが印象的でした。爽やかな風が吹いていて心地よい風鈴の音がなっていましたよ。

 

コロナで手水舎を使わなくなったのがきっかけなのでしょうか。花手水と言う言葉も知りませんでした。Xで画像を載せている人がいるのは知っていたのですが神社の画像と言うのも知らなかったのです。札幌市でもやっているところがあるのを今月初めて知りました。それに「花詣」「夏詣」があるのも初めて知り勉強になった休日でした。

 

東野圭吾の小説「白鳥とコウモリ」を読んで感じたこと

 

さあ、景色の描写から始まりました。さらっとした描写です。

どこかの海外小説のような土地柄や景色を細々と書き連ねるかのような

始まり方はしません。

あの永遠とも思えるような

贅肉とも思えるような文章に圭吾先生はしないのであります。

そして、二人の刑事の登場です。

二人とも気遣いを感じさせるような人の良さを感じさせるような会話であります。

古館伊知郎だったらそんな実況しそうな始まり方です。

2人のうちの1人の刑事は精悍な顔つきで年齢は28歳で背が高い。

こう書かかれるだけで

勝手に魅力的な人を見たような感覚になりますから不思議ですよね。

阿部寛を若くした感じだなとかね。

勝手に惹かれるようなキャラクターを想像してしまうと言えば

被害者の娘も造作が派手とか、

他の登場人物の視点を使って奇麗な人だと読者に伝える場面があるんです。

この物語のヒロインとなる存在。

大事ですよね~ヒロイン。

ジェームズボンドの相手役のヒロインが出てこなかったら

どうなっちゃうんだろうあの映画。

そんなヒロインと加害者の息子が密かに合うんですよね。

そして、ロマンスが動き出すんですよ。

え!?急にそんなことする?あっ、急じゃないか。

そうか、理解できないのは私の経験不足か。

ま、そんな展開もありつつ、

お互いがお互いの知っている父の行動とは思えないって感じで

事件の真相に迫っていくわけです。

本当にそんなことしたの?って。

被害者遺族担当の弁護士と加害者の弁護士が止めるんですよ。

弁護人の二人が本当に分からず屋。

でも、職務に一生懸命だから仕方がないんです。

それでも、ヒロインと加害者の二人は

自分の知っている父親を信じて事実を解明してゆく。

真実はいかにという物語。

東野圭吾の文章って本当に読みやすいです。

スラスラと体に入ってきちゃうような、

瑞々しさすら感じるような、ところてんだなこりゃ。

ドライブで言えば信号に全然引っかからない感じ。

また、展開を予想させるうまさ、予想させるように仕向ける上手さ。

そして、予想が当たる気持ち良さ、予想が外れる心地よさがあるんですよね。

たしか、帯に「白夜行」のことや「新たな最高傑作」や

「今後の目標はこの作品を越えることですby東野圭吾

と書かれていたのでこれは読まねばと思って買ったんですよね。

中古本なんですけどね。

買ってよかったです。

売る時も結構高く売れぞーって思ってたら、

カバーに油染みを付けちゃって。

300円ぐらいで売れるのが10円くらいに買いたたかれるじゃないかと不安です。

染みを付けたのは上巻。

上巻の印象の悪さが影響して下巻も買いたたいちゃえみたいにならないかなって。

イオンで見つけた小さなベンジンを買って落とそうと企んでいるところ。

ベンジンの値段は190円弱。

やってみよっと。

臍から血が出続けて分かったこと

 

臍には穴の淵にコリコリした部分があること。

 

ある日、臍が痒くなった。

でも、臍のどこが痒いのかよく分からず臍の淵を搔いていた。

搔いた部分は赤くなったので薬を塗った。

 

その後、臍が痛くなった。

しゃがむような腹の表面に圧力がかかる動きをすると臍が痛くなった。

使っていい薬なのか分からずつけたのが良く無かったかもと思った。

そして、皮膚科に行く。

 

皮膚科では臍の状態を見ても分からないので外科に行くように言われた。

外科?馴染みのない科だ。

嫌な予感がするようになった。

 

近くのクリニックで外科もやっているので見てもらう。

触診するとコリコリする部分を触りながら「何かおるな」と医師。

しかも、何回も確認して言う。

看護師とも「何か居るんだよ」と会話している。

なかなか、お茶目な医師だ。

いや、深刻な空気にならないように気を使っているともとれる。

「生まれつきある?」

と医師から聞かれる。

がっかりした。こちらが聞きたかったからだ。

コリコリする部分はシコリかと思い

心配しながらネットで何度も調べたが正体が分からない。

病院で確認すれば分かるだろうと思った。

反対に医師に聞かれるとは思わなかった。

エコー検査をするが原因は分からず抗生物質と胃腸薬をもらって帰った。

 

薬を飲み続けて3日すると体にふらつきが出たので自分の判断で薬を中止。

抗生物質を途中で止めるのはよくないと分かってはいたが

仕事に支障が出るし、臍の痛みも無くなっていたので止めた。

 

ところが、痛みが直ぐに再発。

臍が痒いと思い、手をやると指が湿ったので見てみる。

血が指についていた。

しこりのようなものがあり血が出る。

嫌な予感がエスカレート。

 

取りあえず臍を毎日のシャワー時に入念に洗うことにした。

ネットで調べても病院に行っても答えが出ないから

自分でできることをやろうと思った。

洗った後は綿棒で拭き取り清潔を保つようにした。

でも、綿棒で拭き取ってから一時間も経たないうちに臍が血だらけになる。

うんざりする。

綿棒で毎日拭き取っていると

臍の奥で湿疹のようなものに触れるのを感じるようになった。

原因はこれかと思った。コリコリした部分が痛いのではなくこれかと。

清潔を保っていたせいか治った。

仕事で毎日汗をかいて汗で蒸れた状態で仕事をしていたのが原因だったと思う。

 

あれから2カ月以上経つがぶり返してはいない。

でもコリコリは残っている。

答えは出た。

コリコリは生まれつき。

小野寺史宜の小説「ひと」を読んで感じたこと。幸せと絶望:クズが持つ影

まず感じたのは、長文が読みたい。お願いします。次は長文になっていてください。

あまりの長文欲しさに内容が入ってことないこともしばしば。

でも、こうでなければならないと期待しすぎていた自分に気付きました。

人との付き合いの中で相手に期待し過ぎては人間関係が簡単に破綻してしまう。

その期待が目隠しになり相手の良さが見えなくなって関係が終わってしまう。

あのベストセラー本にも書いてあった。

相手がどうするかは相手の課題であって自分がコントロールできるものではないと。

相手の課題と自分の課題を分離することが大切

みたいなことが記されていたような気がしたのを思い出す。

それに、全ての人間関係に東野圭吾を求めてもだめなのだ。

全ての人間が東野圭吾だったら東野圭吾の良さが良さではなくなってしまう。

さすがに世の中の作家が皆、東野圭吾だったらうんざりする。

東野圭吾を手放した時、この小説と仲良くなれた。

だからと言って、頭に入ってこなかった内容の部分までは戻ろうとは思わない。

神経質もまた継続を阻む。

「前に言ったじゃん」「何回言わせんの?」

といちいち言ってくる人の言うことを気にしていたら布団から出るのも嫌になる。

朝になったら布団から出て出勤しなければならないのだ。

小説との付き合い方が大まかに分かると内容が大まかに入ってくるようになった。

主人公の友人が「どこの馬の骨か分かんないじゃん」

と言ったときの主人公の返しが友人っていいよなって思わせるやりとりだった。

自分もこんなやりとりしたいな。やりとりできる人間関係にあこがれるな。

この気持ちを目標に人間関係を築こうと心に決める。

自分にとっての剣を探す旅に出ようと心に決めた。

あ、剣とは主人公である聖輔の友人の名前だ。

勇者が伝説の剣を探す冒険のような例えをしたわけではない。

「どこの馬の骨だ?」よく聞くけど使ったことないな。

映画「ハスラー2」でもそんなセリフあった。

プールバーのオーナーがトム・クルーズ扮するハスラー2に言ってた

「どこの馬の骨だ?」と。で、ハスラー1がオーナーをなだめる。

トムはニタニタ笑って返していた。

アホっぽいのかただ若いのか分からないけど、

才能があるキャラクターに感化されてビリヤード始めちゃったよな。

自分だけじゃなくてビリヤードブームまで起きちゃって、

物語のキャラクターの影響力で球を突くボッコまで売れるようになっちゃったからな。

あの映画って30年前ぐらいじゃない?「どこの馬の骨だ?」って廃れないね。

それは置いといて、

この本は本屋大賞から生まれた感動のベストセラーと帯にありました。

主人公聖輔と周りの人とのやりとりが心地いいんですよね。

人との関わりって幸せだと感じさせてくれるようなやりとり、

それだけに嫌な予感を感じさせる部分もあって

幸福なだけに落ちるのが怖い感覚をもちつつ読み進めました。

それもこれもクズが出てくるから。

や~、ハッピーエンドが好きな自分としては

嫌な終わり方はしないで下さいと願いながら読みましたね~。

さぁ、結果はいかに。まだ、読んでない方は是非。