ひといき入れよう

経験、気付き、感想

【感想】馳星周の小説『少年と犬』を読んで感じたこと:執念か奇跡か

 

 

 泥棒を送り届ける運転手として働くことを決意した和正。運転が上手く、裏社会とつながりがあり、まとまったお金が欲しかったのが理由。しかし、単なる送迎とはいえ、本格的な犯罪に関与することには抵抗がありました。それでも、認知症の母を介護する姉の負担を考え、家族のために決断します。

そんな決断は一匹の犬・多聞(たもん)が現れた中でのこと。家族に暗い影が立ちこめる中、多聞との出会いが和正の心に光をもたらしました。突如舞い込んだ幸福を手放したくないという思いの中で下した決断。その行く末はいかに。

本作は、和正を含め、多聞と関わった6組の人々の物語を6つの章で綴った作品です。

賢く、優しく、人との距離を心得ている多聞は、出会う人々の心を癒し掴んで放しません。その温かさが読者にも伝わってくるんですよね。

 私は犬を飼ったことはありませんが、かつて鳥を飼っていました。鳥はコザクラインコ。ある日、私が体調を崩して布団で横になっていると、その子がそばに寄ってきたのです。その子も脚を怪我しており、少し離れた座布団の上で休んでいました。でも、私と目が合うと、脚を引きずりながらカーペットの上を這って私の布団をよじ登り、遂には枕元へ。一緒に眠り始めたんです。寂しかったのか、慰めようとしてくれたのかは分かりません。その後、私もその子も回復。たくさんの時間を共有したことが今でも大切な思い出です。

この小説を読むと、自分がかつて飼っていた動物や、心を通わせた存在を思い出させてくれます。

ただ、多聞は単に人を癒すだけの存在ではないんですね。彼はいつも特定の方角を見つめています。その先には、彼が目指す“目的”があるかのようなに。伏線が回収され、奇跡的なストーリーが展開し、無償の愛が一気に押し寄せる。思わず涙がこぼれました。私は普段「奇跡」というものを意識してないのですが、この物語を読んで「もしかしたら奇跡の物語が好きなのかもしれない」と思いました。

3月から4月にかけては、何かと忙しい時期ですよね。変化の時期であり、まるで“元の自分”から“新しい自分”へ引っ越すようなもの。チョット、無理やりですかね(笑)。そんな忙しい日々の中でも、心に響く一冊です。登場人物たちが多聞との出会いを通じて心のお引越しをする様子は、まるで化学反応のよう。きっと、あなたもこの物語に引き込まれるはず。

あ、ちなみに映画版は原作とは少し異なるストーリーのようです。まだ観ていないので何とも言えません。

出版されてから時間が経つので読んだ方も多いかもしれませんが、読んでいない方にはとてもおすすめです。

バカいうな!

ショックだった。 見ず知らずの人の何気ない一言が胸にぐっさりきた。

「味噌汁みたいなラーメンだな」

知らない人だけど、どこから出てきたかは知っている。私の好きなラーメン屋からだ。 私は好きなラーメン屋の前をたまたま通りかかったときに、その言葉が聞こえてしまったのだ。 私はそのときラーメンを食べに来たわけではなかったが、まるで自分の大切なものを否定されたような気持ちとラーメンが結びついた記憶になった。

でも、その言葉の意味は何だったのだろう? 「味噌汁みたいに美味しいラーメンだった」という意味かもしれない。 それとも、「味噌汁に麺を入れただけのラーメンだった」という否定的な意味なのか。 真意は分からない。

そもそも味噌汁といえばカツオ出汁。 私の好きなそのラーメンは札幌ラーメン。 札幌ラーメンといえば、鶏ガラや豚骨ベースのスープが一般的だ。 私は魚介出汁のラーメンが苦手で、複雑な味よりもシンプルな旨味が好きだ。

ラーメンの味にはさまざまな種類がある。 「とにかく色々入っているんだろうな」と感じるラーメンもあれば、 「これは美味しいのか、不味いのか?」と迷うものもある。

でも、問題はそこではない。 私はただ、自分の好きなラーメンにケチをつけられたことが気に入らなかったのだ。 ラーメンの味がどうとか、魚介出汁がどうとか、そんなことじゃない。 「好きなものを否定された」という感覚が、どうにも許せなかった。私は怒っている。

推しをバカにされた人って、こんな気持ちになるのかもしれない。

だからこそ、私は他人の「推し」には寄り添いたいと思う。 そう考えながら、チルドラーメンをすすった。

ラーメンを食べると、無意識に「自分の中の一番のラーメン」と比べてしまうことはないだろうか。好きなラーメンの記憶と一緒に引き出された過去の思い出。

チルドラーメンの価格は200円ちょっと。 それでも十分美味しいし、アレンジも自由自在だ。 野菜をたっぷり入れれば栄養バランスが整うし、 茹で卵や豚肉を加えれば、タンパク質もしっかり摂れる。 最強でしょ。

考えてみると、私は味噌汁が大好きだ。 だから、あのラーメンが好きなのかもしれない。 認めたくはないが、私は意外と影響されやすいのかもしれない。

それでも、相手の意見を尊重しつつ、自分の好きなものをしっかりと持ち続けたいと思う。

今週のお題「ラーメン」。読んでいただき有難うございます。

日記:スーパーマーケットの手動扉がつくる暖かな革命

久しぶりの雨にあたった午後、私はいつものように最寄りのスーパーマーケットに向かった。今日も特別なことなんて何もない。淡々とした日常に埋もれるような、そんな気分。

入り口に着いたとき、重たそうなガラスの手動扉が目の前に立ちはだかる。いつもの動作、手を伸ばして押し開ける。ただその瞬間に初めて気づく。後ろからかすかな足音。振り向けば、一人の女性がこちらに向かって歩いている。慌てた様子なないけど、急ぎ足のような気もする。明確な目的を持った人の歩き方。私はとっさに手を伸ばして扉を押さえた。

彼女が扉を通り抜けるとき、ふいに柔らかな声で「ありがとうございます」と言った。その一言に、不意打ちを食らったような気分になった。こんなささいなことなのに、なんだか嬉しい。春の晴れたの日に歩くような爽快感が体に流れてくる。「親切心なんて大したものじゃない」と普段はどこか冷めて思っていたのに、この瞬間、確かに何かが変わった。

買い物を済ませた後も、その「ありがとう」の余韻が頭を離れない。このまま引きずってこの余韻で二日酔いしたいくらい(笑)それにしても、この扉は今日だけでも、何回優しさを生んだのだろうか。私が押さえただけで、あの女性が笑顔を見せてくれた。それ以外にもきっと、誰かが扉を開けて誰かを気遣い、感謝の言葉が交わされてきたに違いない。

帰り際、もう一度そのガラス扉の前に立つ。手を置いたとき、指先に伝わる冷たさが心地良い。そしてふと思った。「この扉はただの扉じゃない。ただ開いたり閉じたりするだけじゃないんだ」と。まるで人々の優しさを引き出し、広げるための仕掛け装置のみたい。

優しさの生産器具だと考えると、その働きに驚く。この場所を行き交う無数の人々が、この扉を通じて互いに心を交わしてきた。日常の小さなからくりが、知らない間に社会全体を少しずつ温かくしているのかもしれない。電気も消費せずに優しさを大量生産する。自動扉だったら、こんな小さな気づきは生まれなかっただろう。

家に帰る道で、私はしばらくの間、誰かと笑顔を交わす瞬間のことを考えていた。そして、世界の中には他にも「見えない生産器具」があるに違いないと気づく。カフェの椅子、エレベーターの開閉ボタン、駅の手すり。それぞれが私たちに優しさの機会を与えてくれている。もっと小さな親切に目を向けるだけで、少しだけ幸せな気持ちになれるんだ。

私が気づいたこの扉の密かな役割は、きっとこれからの日常を変えるだろう。いつも目の前にあった平凡なものにさえ、素晴らしい働きが隠されているのだから。

「御上先生」Episode 9 -joker-を見て感じたこと:心理描写に感動。長いトンネルを抜けるキャラクター達

jokerと言えばゲームをひっくり返すカード。サプライズの匂いがプンプンしますね(笑)想像しちゃいますよね。だって、御上先生も想像の大切さを生徒に説いてましたもん。あれって、視聴者に対する暗示だったのかな。jokerって副題もそうですけど気になっていたことがもう一つ。

ドラマを観る前から、「富永に何があったのだろう?」と予想してました。不正入学絡みで何か大きな事件が起きたのだろうと踏んでいたのですが……見事に騙されました!まさかの展開に完全に意表を突かれ、脚本家にしてやられた気分。こういう予想を裏切るストーリーが、ドラマの醍醐味ですよね。何回でも裏切られたいです(笑)

さて、今回のエピソードは、多くの登場人物にとって「区切り」の回でしたね。特に心を激しく揺さぶられたのは、御上先生の区切りのシーン。彼が教え子2人に長年果たせなかった“宿題”を見せる場面は、彼の内に秘めた葛藤と決意が溢れ出た瞬間でした。

認知症の母親に自分は自死した兄のコウタじゃないと伝えるシーン。御上先生は何事も論理的に考える冷静なキャラクターとして描かれてきました。兄コウタの事件を教室の生徒の前で説明する時でさえ冷静だった。でも、この瞬間だけは違った。長年心の奥底に閉じ込めていた苦しみが一気に噴き出し、見ているこちらまで胸が締め付けられるような感覚に。「本当のことを言えば相手を傷つけてしまう」という罪悪感と、「でも言わなければ自分の人生は前に進まない」という板挟み。これ、現実でも経験したことがある人、多いのでは?

このシーンを演じた松坂桃李の表情がまたよかった。言葉以上に、彼のまなざしや微妙な仕草が、キャラクターの深い苦悩を物語っていました。普段は感情を押し殺している人ほど、いざ感情が爆発したときの破壊力は凄まじいもの。まさにそれを象徴するシーンでした。マーベラス

そして、終盤にはダブルのサプライズが待ち受けていました。次回が最終回ということもあり、伏線回収に向けて一気に畳みかけてきましたね。不正入学の件はどうなるのか?リストに載っていた“あの名前”の運命は?学校の闇は暴かれて終結するのか、それともさらなる波乱が待ち受けているのか……。

卒業を目前に控えた登場人物たちの行く末が気になるところです。個人的には「結末よりも過程」の方が気になって仕方がないタイプ。闇が暴かれるのはいいとして、その過程で誰がどんな決断をするのか、その選択が彼らの未来にどう影響を与えるのか……そういった細かい心理描写を楽しみたいところです。

次回はいよいよ最終回。涙なしには見られない回になりそうですが、覚悟を決めて観ようと思います!

有吉佐和子の『悪女について』を読んで感じたこと:悪女の転用=信頼

有吉佐和子の『悪女について』のレビュー。

最近、『青い壺』が話題になっていると知り、有吉佐和子という作家に興味を持ちました。その流れで、彼女の代表作の一つであり、何度もドラマ化されている『悪女について』を手に取ることに。これまでタイトルから「悪女=周囲から憎まれ、醜い存在」という先入観を抱いていたが、本書を読むことでその考えが大きく揺らいだ。

本書は人から信頼されるためのヒントが詰まっており、自分の対人関係を見直すきっかけにもなる。私はもちろん悪事を働こうとは思わないが、人からの信頼を得るのが苦手だと感じている。無口な性格も影響しているかもしれないし、人と積極的に関わるのが難しいと感じることもある。そんな私にとって、本書は単なる小説ではなく、人間関係を考え直すためのいい刺激になった。

あらすじ

物語は、戦後日本を舞台に、鈴木君子という女性の生涯を27人の証言を通して描く形式で進む。時系列はバラバラで、各人物の視点から君子が語られるため、読者は彼女が本当に「悪女」なのか、それとも違うのかを推測しながら読み進めることになる。

君子は貧しい家庭に生まれ育つ。ある人にとっては平凡、ある人にとっては抜群の美貌と巧みな話術の持ち主。そんな印象を与えつつ次々と男性を惹きつけ、成り上がっていく。貧しい時期から社会的な成功と安定した生活を手に入れる時期まで描かれている。周囲の人々を利用し、裏切りながらも、彼女自身は決して悪びれない。そんな彼女に翻弄される人々の証言を重ねることで、物語は進行していく。

魅力と考察

この小説の主人公である鈴木君子は、27人の関係者によるインタビュー形式で語られる。時系列がバラバラに展開されるため、最初は少し戸惑ったが、読み進めるうちに、その巧みさに唸った。君子という人物が、本当に「悪女」なのか、それとも「悪女ではない」のか。読者である私自身も翻弄されながら、次第に物語の世界に引き込まれていった。

最初の方で心を掴まれた場面がある。君子が夜学で簿記を学んでいた際のエピソードだ。クラスメートにそろばんの打ち方を褒められた彼女は、「一生懸命やっているだけですわ」と返す。この言葉が絶妙だった。謙遜しすぎず、かといって傲慢でもない。もし好意を持っている人がこの返答をしたら、さらに惹かれてしまうだろう。『悪女について』というタイトルを意識すると、この受け答えが計算されたものなのか、それとも彼女の自然な言動なのか、読者として考えさせられる。そして、「本当にこんな人がいたら怖い」と思うと同時に、「彼女がこれからどんな行動をとるのか知りたい」という気持ちが強まった。

物語を進めるうちに、私は君子に信頼を寄せたり、逆に嫌悪感を抱いたりする場面があった。その感情の揺れ動きこそが、この作品の醍醐味なのかもしれない。人はどのような言葉や行動で信頼を得るのか、あるいは失うのか。そうした点を考えさせられるのも、この小説の魅力の一つだ。悪用すれば「悪女」と呼ばれることになるかもしれないが、正しく活用すれば人間関係に役立つスキルになる。悪を知ることで正しさを学ぶ、そんな教訓が込められていると感じた。

ドラマ版と小説版の違い

『悪女について』は過去に何度もドラマ化されており、近年では沢尻エリカ田中みな実が鈴木君子を演じた。しかし、どちらも個性的な女優であり、ファンが多い一方で、彼女たちのイメージが先行してしまい、ドラマを敬遠した人もいるかもしれない。その点、小説ならば俳優のイメージに左右されず、純粋にストーリーの魅力を楽しむことができる。君子の言葉や行動を自分なりに解釈しながら読み進めることで、より深く物語の本質に触れることができるはずだ。

ちょっと気になった細かな点

また、本書のレビューには「もう一度読みたくなる」との意見が多く見られたが、その気持ちがよく分かる。インタビュー形式で語られるため、登場人物の証言を整理し、時系列順に再構築したくなるのだ。もちろん、それだけではなく、純粋に「もう一度読みたい」と思わせるだけの面白さがある。

さらに、物語の舞台が戦後間もない時代であることも興味深かった。日常的に使われていない言葉が登場し、それを調べることで当時の社会背景が見えてくる。「三助」や「赤線」といった言葉が気になり、調べてみると、当時の日本の風俗や生活文化が垣間見えた。ジェネレーションギャップを感じる方との会話のネタになると感じた。また、「ゴディバチョコレート」がその時代から存在していたことにも驚いた。さらに、男女平等についての議論がすでにその時代から行われていたことを知り、現在もなお解決しきれていない課題があるのだと考えさせられた。

まとめ

こうした歴史的背景の発見も含め、『悪女について』はただの小説にとどまらず、人間関係の在り方や社会の変遷を考えさせる一冊だった。読後に他の人と語り合いたくなる。悪女とは何か、信頼とは何か、そして「人にどう見られるか」を意識することの大切さを教えてくれる作品だった。小説ならではの奥深さを味わいたい人に、ぜひおすすめしたい一冊である。

 

暗黒教育の記憶:個性的な教育者たち

今週のお題「思い出の先生」は一人じゃなくていいのでしょうか。

いろいろな先生がいましたが、特に忘れられない先生たちの言動は今でも鮮明に記憶に残っています。もはや、あの言葉を聞くたびに、自分がその瞬間を生きていたことを思い出し、今ではどこか面白く感じます。今日は、私の小学校から中学校にかけての「衝撃的な先生たち」を紹介します。

尊敬されたかったのかな。

まず思い出すのは、小学校1年生の担任の先生です。彼はとても独特で、なんと、自分を「忍者だ」と豪語し、授業中に黒板消しやチョークを置く場所に足をかけて、黒板を上ったんですよ。ホント、クレージー。もしかしたら、クラスが変わるたびにやってた鉄板ネタだったりして(笑)

先生、それ憂さ晴らし?

次に印象深かったのは、小学校2年生の担任の先生。何をするにも、ちょっとしたミスに「アホ!この!」や「バカ!コラー!」という言葉が飛んでくるんです。体育の時間でもそう。サッカーをしていたとき、パスミスやボールコントロールミスをすると、容赦なくその言葉が飛んできて、みんながしゅんとしながらも、なぜか笑いがこみ上げてきたのを覚えています。いや、小2だからボールの扱いも下手くそだろうよ、って今なら言いたくなるところです。憂さ晴らしのようにも見えましたが、きっと先生なりの愛情表現だったのかな?そんな感じに見えなかったかも(笑)

逆に着けなれてたら怪しくない?

小学校6年生の時、理科の授業であったマッチで火をつける場面。なかなか火がつかず、焦る私に先生は「本当にお前、どんくせーなー」と一言。あの瞬間、私は「どんくせーって何だよ…」と思いましたが、妙にその言葉が頭に残って、しばらく頭の中をグルグル回っていました。マッチで火をつけるって、子どもの私にとってはなかなか大冒険。でも、先生の言葉があまりにも強烈すぎた。マッチをつけるたびに思い出す。以来、マッチは一発でつけられるくらいコツを掴みました(笑)

どうせ飲むなら機嫌よくでしょ

中学校に進学してからも衝撃的な先生は続きました。特に中学の部活の顧問。彼は数学教師だったのですが、日曜日になると必ず二日酔いで登校し、プンプンと酒の匂いを漂わせてステージの上で練習を高みの見学。言葉遣いや態度が荒々しく、どこか冷めた目で生徒を見ている感じがしていました。時代だなー(笑)今思うと、彼もまた何か事情があったのだろうと考えてしまいます。それでも、酒臭い空気の中で過ごした部活の時間は、今でも妙に思い出深いものです。

先生、その技どこで覚えた?

そして何よりも衝撃的だったのは、中学校の体育の先生。ある時、何かで生徒が気に入らないことをすると、彼はその生徒の耳をグイっと掴み、無理やりお辞儀をさせて、ほっぺたにビンタをかますという、まさに“昭和の体育教師”といった感じの教育方法を取っていたのです。どこでそんな方法を覚えたのかは分かりませんが、まさか自分がそんな暴力的な行動を目の当たりにするとは思ってもいませんでした。結局、その先生は問題を起こして転任になったのですが、私にとっては一生忘れられない“暗黒教育”の一コマとなりました。

先生も必死だったんでしょうね

時代は、野良犬や野良猫がうろうろし、リーゼントのヤンキーがうろうろしていた時代。「いやー、卒業アルバム見たらリーゼントや反り込み入っている生徒がばかりだったから体鍛えてきたけど、優しい生徒ばかりで安心しました。」って言って赴任してきた先生もいましたから。大部分の先生がそんなノリで過ごしていたのかも。せんせーお疲れ様。あっ、まだ、居た。個性的な行動する先生がっ。でも、またの機会に。

韓国ドラマは好きじゃなかった私がドラマ「ペントハウス」にハマった理由を深堀り

韓国ドラマ「ペントハウス」の魅力を深掘り!

圧倒的なインパクトを誇る「ペントハウス」。

富と権力、愛憎が渦巻く復讐劇に、濃厚なキャラクターたちが絡み合い、見始めたら止まらない中毒性を持っています。今回は、「ペントハウス」をまだ観たことがないあなたに向けて、このドラマの魅力を深堀りしていきます!

1. 強烈すぎるキャラクターたち

ペントハウス」の魅力の一つは、何と言っても個性が爆発したキャラクターたち。特に印象的なのが、チョン・ソジン(キム・ソヨン)。

ハマり役の悪女キャラの彼女の“悪”はいっちゃってます(笑)目力の強さが振り切っていて、彼女が睨むだけで「ギロッ」という効果音が聞こえてきそう。18話のパーティーシーンでのチュ・ダンテ(オム・ギジュン)との強引なキスは、意味わからんくて見てられない。しかし、そんな彼女の姿に目を背けられないのも、このドラマの不思議な魅力です。

さらに、シム・スリョン(イ・ジア)の静かなる強さや、オ・ユニ(ユジン)の母としての戦いも、観る者の心を掴みます。美しさと悲しみを背負った彼女たちのドラマが、ストーリーに深みを加えています。

2. クセになる濃厚な演出とストーリー

ペントハウス」は、ストーリーの展開がとにかく強引。「そんなことある!?」とツッコミを入れたくなるのはしょっちゅうですが、クセになるし、麻痺します。トーク番組で突然ゲストが歌い始めるような唐突さを感じつつも、その先の展開が気になって目を離せないのです。

また、キャラクターの欲望や間抜けさがむき出しで、時にはコントのように感じることも。しかし、そんなギトギトした背脂たっぷりのドラマでも、俳優たちの洗練されたビジュアルが程よいバランスを生み出しています。

3. 「お金持ち=幸せ」ではないリアルな人間ドラマ

このドラマの登場人物たちは、超高級マンション「ヘラパレス」に住む富裕層。しかし、彼らの人生は決して幸せではありません。むしろ、嫉妬や裏切り、復讐が渦巻き、見ているこちらまで感情が揺さぶられます。

「お金があっても幸せとは限らない」というメッセージが根底にあるからこそ、多くの視聴者が共感しているに違いありません。時に「私の嫉妬心がそう感じさせてる?」と自問するほど。

4. 欠点すらクセになる!

もちろん、完璧なドラマではありません。強引なストーリー展開や、濃厚すぎる演出に「さすがにちょっとしんどい…」と感じることもあるでしょう。むき出しの欲望と、むき出しの間抜けキャラが共存する世界観は、一歩間違えればただのカオス。

それでも観てしまうのは、やはり俳優陣の魅力。イ・ジアとユジンの美しさと演技力に引き込まれ、気づけば次のエピソードが始まるころにはTVの前でスタンバイ完了。

まとめ

ペントハウス」は、一言で表すなら“背脂たっぷりの濃厚ドラマ”。

クセの強いキャラクター、強引すぎるストーリー、圧倒的な俳優の美しさが絡み合い、観る者を離しません。韓国ドラマに興味があるけれど、まだ観たことがない方には、ぜひ一度試してほしい作品です!